日本の歴史をさかのぼると・・・その5
二年七月のコミンテルンの批判は、日共に一時期を画しました。
このとき福本・徳田・渡辺・佐野(文)らがモスクワにょぼれたが、そこでは福本イズムが徹底的に批判され、多分にロシア製の「二七年テーゼ」が日共に与えられたからです。
このテーゼの理論的な部分については、のちに日本資本主義論争をとり扱うときにふれるでしょう。
いずれにせよここで日共のインテリ中心主義が批判され、労農大衆との結合を強化しつつ革命の実現を急ぐべきことが指示されたといっていいでしょう。
この結果、福本らは党の中心部からのぞかれ、渡辺・佐野(学)・鍋山などを中心とした首脳部が形成されました。